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ナガク’奥義学校主催のマヤ・ツアー

日本からの海外旅行はハワイなどのリゾート地やアジア諸国が行きやすくて人気があります。また、現代の様々な文化を堪能するならば、美しくて洗練されているヨーロッパや北米に出向くでしょう。わざわざ大変な思いをして地球の裏側の第三国にあるマヤに行くには、それ相当の理由や想いがないと、普通は選択しないかもしれません。

それでも、マヤの最大の魅力は、やはり何と言っても「密林に存在する石のピラミッド群」です。世界でも非常に稀なそれらの聖地に立つだけで、魂も記憶も揺さぶられます。時間もお金も体力も、そして仕事や家庭の根回し(^^)も必要になりますが、それでも、掛け替えのない体験と人生の思い出としてマヤを訪れたいと思う方もいらっしゃるでしょう。

今後、ナガク’奥義学校が主催するマヤ・ツアーが企画された際に、一般の会員様でも参加条件がクリアされていればお申込みいただけます。

 

関心のある方は配信先のメールアドレスまでお問い合わせくださいませ。

マヤ・ツアー体験記(抜粋版)

2007年10月6日  記
私達二人が「マヤと日本の架け橋」として活動するNAGA K’U(ナガク’)奥義学校には、「学校」という名がついている。けれども、教室はどこなのか?と言うと、それは野外の「自然」であり、また「旅」そのものにある。国内でもマヤの儀式ワークやクラスにご参加いただくワークショップを旅の取り掛かかりとして推奨してはいるが、実践の場である「マヤへの旅」の学びのスケールには到底かなわない。振り返ってみれば、自分を含めた多くの人にとってこのマヤへの旅が、人生の方向性を定めてくれたり、転換期になったりと大きなきっかけとなっている。そこでは大いなる導きに出会う奇跡の体験があり、誰もが宇宙規模で変容する出来事から多くを学ぶのだ。私達も実際、聖地巡礼のマヤへの旅に行く度に、とびきり良いことも、またそうでないことも、全く経験したことのないような物事に押し進められていると感じることがある。旅での学びの醍醐味はここにある!それをいかにしてやり過ごすかがポイントなのだ。

普段、私達現代人は何気なく慣例に従って行動している。日常にはある程度の順序があり、時計の時間に基づいて決まりきった仕事や型にはまった所作を繰り返し、次第に機械的なコントロールに慣れてゆく。朝7時に目覚ましで起き、チンしたご飯を食べ、いつもの時間に電車で運ばれて、昨日と同じようにパソコン前に座るかもしれない。小脳が覚え込んだ道を、無造作に無意識に動くこともできるだろう。安全と安易さを追求した結果、便利な生活が約束された。現代人はルーティンな生活を選択しているため、意識的にそこから逃れるのは容易ではない。

そこで必要になるのが「旅」なのだ。今まで経験したことのない、見たこともない、感じたこともない出来事や現象の連続!普段、悪ふざけが過ぎる私達のエゴはどうしていいかが分からず、ひたすら黙っていてくれる。と言うより静かになってしまうのだ。エゴが静まると、本当の自分である光(本質)が顔を出す。ハートは開かれ、心は落ち着き、神聖な体験と素直な感動との出会いに、深い深い所から湧き上がる至福感で満たされる。この楽しみと喜びからの学びこそが、人生を美しく幸せに生きるための術であると言えるだろう!

何度となくマヤへの旅に出かけている私達。出発の前には、毎回のように、「また何か境界や限界を超えるために出かけるのだろう」と思うと、興奮と不安が入り混じったような一種独特な気持ちになるものだ。初めてマヤへお連れする人達を気遣うことで、時に自らの行動が無意識になってしまうこともある。しかし旅では、一度として同じ体験はないので直ぐにセンターに引き戻される。例え何十回も行ったことのある場所を訪れるとしても、必ず驚かされるような摩訶不思議な体験が待っている。マヤの聖地はいくつもの別の顔を持って出迎えてくれるのだ。それが、神秘的なパワー・スポットと言われるゆえんなのだろう。

だからこそ、意識的に「楽しみや喜びから学ぶ!」と強く選択するように心がけている。「何が起こるか分からない。しかし、不幸になるはずがない!」これが私達二人の見解だ。幸せになるために学ぶと強く選択しているのだから間違いはないのである!例え、ハリケーンや台風でスムーズに目的地に進めなくても、蚊が40匹位たかってこようとも、スーツケースが三日以上届かなくても、飛行機やバスが予定のルートから外れても、身体の不調で思い通りに動けなくなっても・・・。「だから言ったじゃないのっ~!」と誰かを責めたり、自身を責めたりするような被害者意識を持つことはない。有り得ない。

スマートな日常では絶対に体験できないことの連続。無意識層に沈殿した不要なお荷物を手放すには、多少髪の毛を振り乱すようなことになってもいいのだ。しかし、理性を乱すようなことが起こっても、簡単に乗り越えられるからこそ今こうして目の前で起こっていると解釈する。決して失敗や間違いなどではない。スマートでなくてもいい。格好悪くてもいい。深刻さを手放し、いかに笑って乗り越えるか。これこそが、人生を幸福に生きるためのカギなのだ。

私達はフンバツ師をはじめ、こうした生き方をする実践者に数多く出会ってきた。そして大いに刺激され、尊敬している。例えばマヤ人は、子どもが椅子からひっくり返って転んでしまってもとにかく大声で笑う!真剣になって笑いながら急いで抱き上げる。それはもうお腹の底から笑い飛ばすので、転げ落ちた子どもも親(日本人)も驚いてしまって、痛みやショックなんかはどこかへ吹き飛んでしまう。そして、みんなで愉快になって笑ってしまうのだ。だから怪我にはならない。怪我は深刻さからやってくる。深刻さはエゴを増長させるようなものだから。

旅は人生の縮図であると言っていい。人生が停滞していて、前にグッグッと進ませたければ旅に出ることが望ましい。旅と言っても、お気楽な買い物ツアーと、マジカルな聖地での伝統の儀式ワークに参加する旅とは大違いだ。実体験した者として心からお勧めする。しかし、実際にマヤへの旅に出かけるには、大きな意欲と決断が必要であろう(人によっては、いとも簡単に行けてしまう人もいるが)。ほぼ地球の裏側である場所に、時間とお金をかけて行く。仕事や家族のこと、そして健康面の不安・・・。様々な条件が整わないと行くことはできないと頭で考えて簡単にあきらめてしまう。だが最も大切なのは、「行くんだ~!」と強く意思決定し自己選択することだ。そうすることで必ずミラクルは起こる。サポートがやってくる。私達二人は何度も何度もそれを実践してきた。お金が足りなくても、出発当日に大怪我をしても、「エゴに負けずに、とにかく行くんだ~!、人生を前進させるんだ~!」という強い気持ちだけは失わなかった。そう、ミラクルやサポートを引き寄せるのは自分自身の強い心、ブレない気持ちなのだ。

マヤへの旅は、決してファッショナブルなものではない。どちらかと言えば、泥臭く、人間臭いものである。失敗することを恥とせず、怖れさえも乗り越える時、限界を超えて、自信をつけて、エゴのささやきを毅然とした態度で拒否できる強さを手に入れるのだ。私達現代人は、がむしゃらに安易で安全で便利で合理的な生活を求めてきた。なぜなら、安易な所には平和や幸福があると信じてきたからだ。しかし真実の道は見失ってしまった。マヤへの旅で、意識的に生きる術を取り戻し、人間本来の在り方を、人生の目的や使命を思い出そう。本当の幸福、本当の平和は、いつだって自分の中にあるということを再確認するために。

思い切って一歩踏み出し、旅に出よう。びっくりするようなワクワクの連続!どんな状況に身を置いても、深刻にならずにいかに笑って乗り越えるか。自分を試してみよう。実際にやってみよう。パソコンや本などで学んだ知識や、頭で理解してきた理屈は自分の知恵とは言えない。体験や実践を通じて得たものこそが、自分の本当の宝となる。これこそが、この三次元での人生で学び得る「真実の知識、知恵」と言えるのだから。イン・ラケ’ッチ!
 

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